殺人事件で被害者参加弁護士を経験して

弁護士 栗山 博史

2009年10月7日

★はじめに
 先日、ある殺人事件の裁判で、国選被害者参加弁護士という立場で、裁判に関わりました。

 この裁判は、裁判員裁判でした。今年の5月21日以降に起訴された重大事件、すなわち、
① 死刑または無期の懲役・禁固に当たる罪の事件
② 故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件

 は、3人の裁判官と、一般の人から選ばれた6人の裁判員で審理されるようになりました。

 裁判員裁判は、裁判員の方々の負担を考えて、集中的に審理が行われます。私が関わった事件では、2日間にわたって審理を行い、3日目に判決が下されました。

 私は、被告人側の弁護をすることも多々ありますが、今回は、被害者側です。その視点から感じたことについて、少し言及してみたいと思います。

★被害者参加と弁護士
 被害者参加制度は、2008年12月に誕生した制度です。

 法改正前、被害者や遺族は、事件の当事者でありながら、裁判の当事者ではなく、それゆえ、座る席も常に傍聴席でした。被害者や遺族は、検察官と弁護人(被告人)との間で繰り広げられる裁判の行方をじっと見守る。自分の心情について意見を述べる機会はあったものの、発言できるチャンスはその程度でした。

 それが、法改正で大きく変わったのです。被害者や遺族は傍聴席ではなく、検察官の隣もしくは後ろに座る。そして、あらかじめ裁判長の許可を得て、被告人に対する質問を行うことができるようになりました。検察官の論告・求刑(最終意見)の後に、被害者や遺族として、その事件で主張したい事実上・法律上の主張を述べたり、被告人に対してどのような刑罰を望むか、ということも発言できるようにもなりました。

 普通に生活していて、裁判というのはなじみがないものです。被害者や遺族が裁判への参加が認められたといっても、被害者や遺族に認められた権限をどのように行使したらよいのか、わからない。そう思うのも当然です。そこで、裁判に参加することを認められた被害者や遺族は、認められた権限を弁護士に委託することもできます。そして、経済力に乏しい場合には、国の費用で、弁護士を付けてくれます。これが国選被害者参加弁護士です。

★殺人事件での被害者参加
 私が担当した事件の被害者は女性でした。その息子さんが被害者参加しました。突然訪れた母の死によって自分以上に傷ついている未成年のきょうだいのためにも自分が頑張る、という使命感にも似た思いだったと思います。

 裁判では、被告人や弁護人は、殺人事件を犯したこと自体は争いませんでしたが、被告人にとって有利な情状として、事件が起こる前の被害者の言動を問題にしてきました。被告人・弁護人の主張はこうです。

 「もちろん事件を犯した被告人は悪い。事件について反省もしている。しかし、もともとの被害者の心ない言動こそが被告人を激怒させた。被害者は、その言動を反省して謝るどころか、かえって、被告人をののしった。だから被告人は凶器を持ちだした。結局、被害者の言動も、殺人事件を引き起こす原因の1つになっている。被告人1人の責任ではない。」

 この主張を聞いて、息子さんはつらかったと思います。突然の母の死。母はもう戻ってこない。どうしようもない。ならば、この事件を犯した被告人には、せめて事件のことを重く受け止めてほしい。母のために悔いてほしい。苦しんでほしい。そう願って裁判に臨んだと思います。しかし、被告人質問での被告人の発言は、自分の言い訳を見苦しく述べるばかりに聞こえました。

 検察官は、当然、反対の立場から、被告人を糾弾する諸々の質問をしていました。私も、遺族の思いに応えようと、質問を補充しました。

 裁判員裁判は計画審理です。裁判員の方々への負担も考えて、質問時間などは細かく決められています。被害者参加人に与えられた時間も例外ではありません。検察官の質問の後の短い質問時間の中で、思うようにできていないという思いはありました。そこで、その分、最終意見の陳述では、裁判官や裁判員に、被害者や遺族の声を届けたいと思いました。特に、亡き被害者の無念さ・悔しさを想像しながら、陳述しました。

★遺族の思い
 判決は、検察官の求刑よりは下がりましたが、息子さんや他の遺族の一番の感想は、
「判決で、被害者の言動も事件の一因であったという被告人の言い分をきっぱり否定してくれたことが、何よりありがたかった」
 というものでした。遺族は、厳罰だけを求めているのではない、亡くなった被害者の名誉を守りたいという気持ちの方が遙かに強いということを感じました。

★裁判の難しさ~加害者と被害者~
 すでに申しあげたとおり、私も刑事事件を被告人側で担当することはよくありますが、改めて、刑事弁護の難しさを感じました。刑事裁判の主役は被告人です。裁かれる被告人が自分の言い分を述べる、そして、その言い分に基づいて審理が行われ、判決が下される。ときに、被告人の言い分が、被害者側の問題点・落ち度に言及することもある。指摘すべき点を指摘する、その点は弁護人の職務上の責任であり、当然と言えば当然です。

 しかし、その被告人の言い分が、ときに被害者や遺族に対しては打撃となります。遺族は、被害者が死亡して自分自身が悲しい・辛いという以上に、被害者は亡くなった以上、安らかに眠ってほしいという思いを持っていると思います。相手の言い分に全く反論できない被害者に、酷い仕打ちをしないでほしい。一緒に冥福を祈ってほしいと―。

 直木賞を受賞して話題になった天童荒太の『悼む人』の主人公は、「僕は、亡くなった人を、ほかの人とは代えられない唯一の存在として覚えておきたいんです」と言います。そして、これから悼もうとする死者について、「この人は誰に愛されていたでしょうか」「誰を愛していたでしょうか。」「どんなことをして、人に感謝されたことがあったでしょうか」と尋ねます。亡くなった原因は関係ない。とにかく、このことだけを尋ねて悼むわけです。

 最愛の家族を失った遺族は、被害者を美しい思い出とともに胸に刻んでおきたいのだと思います。その気持ちで裁判に臨んだ遺族には、被害者の「悪」を主張する被告人の弁解は酷です。被害者の命を奪っておきながら、冥福を祈ろうとする遺族の心を土足で踏みつけることになる―。

 私がこれまで関わってきた被告人の中にも、事件を心から悔悟し、苦しんでいる被告人はいました。しかし、裁きの場では、裁判官や裁判員にどうしても伝えなければならないことがあります。弁護人として何を伝えるか。伝えるとして、どう伝えるか。本当に難しい。今回の被害者参加弁護士としての経験によって、被告人の弁護活動のあり方を改めて考えさせられました。

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