弁護士の事件簿・コラム

「いじめ」で苦しむ子どもを救うために

弁護士 栗山 博史

1 はじめに
 いじめ防止対策推進法(以下「いじめ防止法」といいます。)が施行されてからまもなく5年が経過しようとしていますが、子どもがいじめを原因として自殺したとする報道は後を絶ちません。
 私は、日本弁護士連合会(日弁連)子どもの権利委員会のいじめ問題対策プロジェクトチームに所属し、いじめ防止法の施行状況などを踏まえた法改正の提言等に携わってきましたが、いじめの抜本対策を打ち出す法律が制定されたはずなのに、いじめによる自殺を防ぐことができない現状に心を痛めています。
 その原因・背景はさまざまな点を指摘することができると思いますが、ここでは、いじめ防止法の問題点に焦点を当ててみたいと思います。

2 総務省の指摘
 今年の3月、総務省は、学校・教育委員会・関係機関に対する実地調査に基づいて、いじめ防止法の運用の問題点について文科省に勧告を行いました。
 勧告内容は、大別して2つです。

① 教育委員会及び学校に対し、いじめの正確な認知に向けた取組を更に促すとともに、いじめ防止法の いじめの定義を限定的に解釈しないよう、周知徹底する 必要がある。

② 教育委員会及び学校に対し、重大事態の発生報告などいじめ防止法に基づく措置を確実・適切に講ずるよう、周知徹底する必要がある、

というものでした。
 これらの指摘が間違っているとは言いませんが、いじめ防止法自体が、法律専門家の視点から見て、とてもわかりにくいものなので、学校現場において、総務省の指摘するような対応ができるかというと、かなり疑問に思うところです。

3 いじめ防止法における「いじめ」の定義
 いじめ防止法の何がわかりにくいかと言えば、まずは「いじめ」の定義です。「いじめ」の定義というのは、何が「いじめ」であり、何が「いじめ」でないかを区別する役割を果たすものです。
 いじめ防止法では、同じ学校に所属するなどの関係性のある子どもどうしの間で、子どもから子どもに対し「心理的又は物理的な影響を与える行為」がなされ、そのような行為をされた子どもが「心身の苦痛を感じている」場合は「いじめ」に当たるとされています(2条1項)。
 2006年以前は、文科省は、「いじめ」に当たるといえるためには、強者から弱者への一方的かつ継続的な攻撃である必要があるとしていたのですが、一方的とか継続性というような要件があることによって、「いじめ」を狭く捉えすぎ、子どもたちを救えなかったという反省のもとに、「いじめ」の範囲はだんだん広がってきました。

【2006年以前】
強者から弱者への一方的・継続的攻撃 + 行為をされた子どもの精神的苦痛 = いじめ

【いじめ防止法の定義】
何らかの行為 + 行為をされた子どもの心身の苦痛 = いじめ

 このように「いじめ」の範囲が広がれば、それだけ被害者に手厚くて良いのではないかと思いますよね。確かにそういう側面もあります。ただ、いじめ防止法をそのまま当てはめると、実はいろいろと不都合があるのです。
 たとえば、次のようなケースはどうでしょうか。

◆ 太郎が花子に「好きだ」と告白したら花子に「嫌い」と言われて心が傷ついた
◆ 一郎が不登校になった和夫を励ましたいと思い、毎日LINEで学校に来るように促したり、自宅まで行ったりしていたところ、和夫がプレッシャーで心理的に追い詰められ心が苦しくなった
◆ のびたはスネオから一緒に遊ぼうと誘われたが、スネオがいつもわがままで自分本位なので一緒に遊びたくないと思い、断ったところ、スネオがショックを受けた
◆ 翔太が浩に殴りかかったところ、浩がやり返して、逆に、翔太が一方的にやられてしまい、怪我をした

 花子が太郎に「嫌い」と言った行為、一郎が和夫に働きかける行為、のびたがスネオの誘いを断る行為、浩がやり返した行為を、直ちに、「いじめ」とするには違和感がありますね。もちろん、同じことをやっていても、背景事情によっては非難されるべき場合もあると思いますが、これらの行為はあきらかに「いじめ」だよね、と言えるものではありません。でも、いじめ防止法の定義を当てはめると、これらの場合も直ちに「いじめ」に当たるということになってしまうのです。

 さて、こういう行為が全て「いじめ」だとした場合、どういう不都合があるでしょうか。単なる違和感だけではありません。
 いじめ防止法には、いじめを行ってはならない(4条)、いじめを行った子どもに対する指導を継続的に行う(23条3項)と書かれています。
 たとえば、花子やのびたが断る行為を「いじめ」に当たるとすると、花子やのびたは、断ってはいけない、今後はそういうことのないよう、継続的な指導を受けなければならない、ということになってしまいます。これは、どう考えてもおかしなことです。学校現場で先生の方が「いじめ」を、いじめ防止法の定義のまま当てはめることができず、もっと狭く解釈したいと思う心情も理解できます。
 学校現場で「いじめ」の範囲を狭く考えすぎて、心理的に苦しんでいる子どもを救えなかったという反省がある。だから「いじめ」を広く捉えるべきなんだ、という発想自体はおかしくないと思います。でも、いじめ防止法が「いじめ」の範囲を極端に広げすぎてしまったために、矛盾を生んでしまいました。法律専門家が読み込んでも理解しにくい法律を学校現場の先生方に周知徹底するなどというのは現実的には難しいだろうというのが率直な思いです。

4 大切なのは苦しんでいる子どもに寄り添うこと
 子どもが何らかの苦痛を感じている場合に、大切なのは、子ども間に「いじめ」があるかないかではなく、その子どもの苦しみの原因が何なのかを背景事情を含めて丁寧に確認すること、そして、その苦痛を解消・軽減するための方策を考え、実行することだと思います。学校の先生方としても、その必要性を否定することはできないでしょう。子どもの苦しみの原因が他の子どもからのいじめ・嫌がらせの場合もあれば、先生の言動の場合もあります。あるいは児童虐待が存在するかもしれないし、その子ども自身が抱える精神医学的な問題に起因するかもしれません。まずは苦しんでいる子どもに寄り添い、その課題を明らかにしてゆくことこそが大事だと思います。

 残念ながらいじめ防止法には、こういう視点が全面に打ち出されていません。いじめ防止法は、「いじめ」があるのか、ないのかを明確にすることが主眼とされており、「いじめ」がないとされれば、子どもが苦しんでいても放置される危険性があります。だからこそ「いじめ」の定義を広く捉えなさい、漏れがないようにしなさい、という注意喚起が必要になるのですが、いじめ防止法をそのまま当てはめてもうまくいかないのは先ほどご説明したとおりです。ならば、むしろ、「いじめ」に当たるか否かにかかわらず、子どもが現実に苦しんでいれば何らかの対処は必要なのだ ということを明確に法律に書き込んだほうがよいだろうと思っています。

 私も作成に関わった 日弁連の本年1月18日付「いじめ防止対策推進法『3年後見直し』に関する意見書」(別ウインドウ)は、広がりすぎた「いじめ」の範囲を現行法より狭める方向での提言をしていますが、その趣旨は、すでに述べたように、現実に心身の苦痛を感じている子どもたちを広く救ってゆきたいという思いに基づいているものです。

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