弁護士の事件簿・コラム

更生はゆっくりと

弁護士 野呂 芳子

1.A君との出会い
  私が弁護士になった平成9年のことです。覚せい剤の使用で捕まった男性の国選弁護を引き受けたことがありました。その男性がA君です。A君は、過去にも覚せい剤で服役経験がありました。
 初めて接見に行ったときのA君は、表情もなく、目もうつろで、口も重く、「かなり覚せい剤の中毒が進んでいるのではないか。」というのが正直な印象でした。
 ところが、裁判の打ち合わせでA君のお父さまとお会いし、色々話しているうちに、なんとA君と私が同じ幼稚園の同級生であったことがわかったのです。
 2回目の接見の時、私は、迷いながらも、押し入れから引っ張り出した幼稚園の卒園アルバムを携えていきました。「幼稚園の同級生だった。」と言っても、「それがどうかしましたか。」と言われることを覚悟の上でした。
 しかし、私が、「幼稚園の同級生だった。」と告げたとたん、A君は、「本当に?本当に?」と繰り返しながら、ぱあっと花が咲いたような、光り輝く満面の笑顔になりました。人間の顔というのは、気持ちでここまで変わるものかと驚いたほどです。
 拘置所のアクリルガラス越しにアルバムを見せて、「これが私で、これがあなたで・・・」と話し出すと、A君は、「わー懐かしいなー。懐かしいなー。」と繰り返しながら、飽くこともなく見入り続けていました。幼稚園の時の記憶を2人で辿っていくうちに、2人とも、「高野先生」というきれいで優しかった先生が大好きであったこともわかりました。
 接見を終えて帰ろうとしても、A君は、「まだ帰らないで。もっと幼稚園の頃の話がしたい。」と言って私を引き留め続けました。
 その後、裁判が終わり、刑も確定し、服役する前の最後の接見の時、A君は、ぼろぼろと涙を流し、「絶対に覚せい剤をやめる。やめて高野先生に逢いに行くんだ。」と何度も何度も繰り返し、いつまでも泣き続けていました。

2.その後のA君
 やがて、A君は出所し、すぐに、「ダルク」という、薬物依存者の回復と社会復帰支援を目的とした施設に入所しました。
 入所中は、外部との連絡もままならないようですが、それでも手紙や電話を何度かくれ、頑張っている様子が伝わってきました。「中の作業の報奨金で買った。」と言って、事務所へのプレゼントをくれたこともありました。
 しかし、しばらく連絡がないと思っていたところ、また覚せい剤で捕まってしまっていました。中でけんかをしたのか何か、詳しいいきさつまではわかりませんが、ダルクを飛び出し、やがて再犯したようです。
 その時は別の弁護士が国選弁護でつき、私は法廷に傍聴に行き、以前と同じように裁判を受けている彼の後ろ姿を見て、それを最後に彼との交流は途絶えました。

3.再会
 それから10数年が過ぎ、昨年平成25年の12月、久しぶりにA君から連絡がありました。とある警察の留置場からで、既に裁判も終わっていたようですが、相談したいことがあるということだったので、何とか時間を作り、でかけました。
 10数年ぶりに会うA君は、私を見ると、自分で呼んだのにかかわらず、ちょっとバツが悪そうな表情を見せました。やはり、止めきれなかったことを恥じていたのでしょう。「もういい歳だし、止めなきゃね。」と言い訳するように話したり、以前と変わらず、「高野先生に会いたいな。今のままじゃ会えないよね。」とぽつっとつぶやいたりしていました。
 私が、「そうよ。私たちだっていい歳なんだから、高野先生はもっといい歳よ。早くしないと間に合わないわよ!」「いつまでもおかあさん泣かせては駄目よ。」と冗談交じりにお説教すると、A君は、初めて「そうだね。」と、逆に安心したような笑顔を見せました。

4.更生はゆっくりと
 今も彼は服役中です。
 A君との関わりの中では、様々なことを考えさせられてきました。
 犯罪を繰り返してしまう家族を持った方々、特に母親の苦しみ、止めようとしても容易に止められない薬物依存の恐ろしさ、薬物がいかに人の人生を破壊してしまうかも実感しました。今、若い人たちの間では、覚せい剤に限らず、「合法薬物」なるものも出回っているようですが、気軽に薬物に手を出すことがどんな恐ろしい結果を招くかということは、多くの人たちに知ってほしいと切実に思います。
 また、社会的地位や名声や過度のお金などなくとも、毎日普通の生活をきちんとおくって日々を生きていくということが、実は得がたい幸せであり、大きな価値あるものだということも感じています。
 一方、更生しようとして挫折し、その後も覚せい剤による服役を繰り返しているA君の半生は、順風満帆とは言いがたいでしょう。
 これからのA君が、ドラマのような、絵に描いたような美しい更生ができるかどうかもわかりません。

 けれども、人生は長い。平均寿命で考えても、A君にも私にもまだ30年近くが残されています。紆余曲折を経ても、悪戦苦闘しても、人生の最後の時期に笑顔でいられれば、それが何よりと思うようになりました。「止めよう。」という気持ちが残っている限りは、A君にはずっとチャンスがあると思います。
 また、A君の心の中に宝物のように残り続けている「高野先生」への思いも、きっとA君を支える力になるでしょう。
 私は、深刻な問題に苦しまれている依頼者の方々が現に多数いらっしゃる中で、A君に実際にしてあげられることなど殆どないのが、残念ながら実情です。せいぜい、時折手紙を書くこと、A君が興味を持てそうな本があれば送ってあげることぐらいです。
 あとは、A君と、出所後に、彼が薬物依存を断ち切るために入るべきよい施設や病院を探すことを約束しています。
 もし、そこでまた失敗するようなことがあっても、また別の場所で何度でも挑戦していけばいい。それぞれの人によって、合う合わないはあるでしょうから、そのような「場」が多数あるにこしたことはありません。
 勿論、最も努力すべきなのは本人ですが、「更生したい。」と真剣に願い、努力する人たちには、その機会が提供される社会であることもまた願っています。

 年内、この事務所のコラムは私の本稿で最後になります。
 来年、皆様にとってよりよい年になりますようにお祈りしております。

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