弁護士の事件簿・コラム

想定外の債務と相続放棄

弁護士 栗山 博史

1 はじめに
 人が亡くなると、その人の相続人とされる人は、原則として、土地・建物・預貯金などの財産を承継することになります。資産だけでなく、故人が抱えていた借金やクレジットローンなどの債務も承継し、債務は、債権者との関係では、各相続人が、債務額を相続人の数で割った金額の負担をそれぞれ負うことになります。
 故人(被相続人)が遺した財産を「遺産」といいますが、この「遺産」には、このようにプラスの財産もマイナスの財産も含まれています。もし、相続人が、被相続人の遺産を承継することを希望しない場合は、家庭裁判所に対して相続放棄の申述をしなければなりません。その手続きを踏まない限り、遺産を承継したとみなされることになります。
 被相続人の生前、被相続人と生活をともにし、家計も同一であったような場合であれば、被相続人のプラスの財産のみならず、債務の状況もおおよそ把握していることが多いので、相続放棄をすべきかどうか判断がしやすいでしょう。しかし、人がどのような財産を持っているのか、どのような債務を抱えているのか、といったことはとてもプライベートな事柄なので、親子のような間柄でも、よほど情報交換を密に行っていないと正確には把握できないものです。また、一言で相続といっても、きょうだい間、あるいはもっと離れた関係、さらには長期間交流が全くなかった人どうしの間で行われる場合もあり、そうなると被相続人の遺産の内容は全く見当がつかないということも自然なことです。
 そこで、遺産の内容を調べて、相続すべきか、放棄すべきかを考える期間(この期間を熟慮期間といいます)が法律上与えられていて、この期間は、「自己のために相続の開始があったことを知ったとき」から3ヶ月以内(家庭裁判所に申し出て伸ばしてもらうこともできます)とされています。
 債務が多い場合など、相続したくないと判断すれば、被相続人が亡くなったことを知ってから3ヶ月以内に家庭裁判所に相続放棄の申述をすれば問題ないのですが、債務があることなど全く知らずに相続放棄の手続きをせず、熟慮期間が経過してしまった後、債権者から支払いを求める請求が来て初めて債務の存在がわかった、というような場合もあります。
 こういった、いわば想定外の債務は、熟慮期間が経過してしまった以上、どうにもならないのでしょうか。その債務があまりに多額だと、到底返済ができない、ということで時々問題になります。裁判例を参考に、この点を考えてみたいと思います。

2 想定外の債務が明らかになった状況のパターン
 婚想定外の債務が明らかになった状況を2つのパターンに分けてみました。
 一つは、被相続人には、相続人が積極的に引き継ぐようなプラスの財産が一切なく、したがって、遺産を相続人どうしで分ける手続き(遺産分割といいます)を何もしていなかった場合(パターンA)。
 もう一つは、被相続人に、相続人が引き継ぐプラスの財産があり、すでに相続人間で遺産分割手続きを終えている場合(パターンB)。
 遺産分割手続きを終えているパターンBも、分割の方法はいろいろあり、遺産分割手続きの結果、相続人が遺産を平等に近い形で分割する場合もあれば、誰か特定の相続人が遺産をまとめて引き継ぎ、他の相続人は遺産を一切取得しないという場合もあるでしょう。後者の場合は、遺産を一切取得していないのに、後から想定外の債務が出てきて、債権者に対しては、債務額を相続人の数で割った金額の債務を負担しなければならない、という、酷な状況が生じることになります。

3 最高裁が打ち出した基準
 被相続人と没交渉であった相続人が死亡を知った後に約1年近く経過して1000万円以上の債務の存在を知ったという事案について、最高裁は、昭和59年4月27日に、次のように述べて、相続放棄を認めました。
 3ヶ月以内に相続放棄をしなかったのが、被相続人に遺産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し遺産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人が、そのように信じる相当な理由があると認められるときは、熟慮期間は、相続人が遺産の全部または一部の存在を認識した時(または通常これを認識することができる時)から起算すべきものと解するのが相当である。
 限定的ではありますが、民法が定める熟慮期間を経過した後でも相続放棄が認められる場合があることを最高裁が認めたことで、その後の裁判例(家庭裁判所・高等裁判所)でも、相続放棄が認められる事例が出てきました。

4 2で挙げたパターンでどう考えるか
 最高裁が示した基準は、幅広い解釈の余地を残すものですので、「こういう場合であれば相続放棄が認められますよ。安心ですよ。」と明確に示すことができるわけではありませんが、2で挙げた、被相続人にプラスの財産が一切なく、遺産分割手続きを何もしていない場合(パターンA)と、被相続人にプラスの財産があり、遺産分割手続きを終えている場合(パターンB)とを比較すると、パターンAの方が相続放棄が認められる可能性は高いといえる一方、パターンBでは、ケースごとに結論が分かれそうです。
 民法は、「相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき」は相続を承認したものとみなす、と定めています。一般的に、遺産分割手続きを終えて、不動産登記をしたり、預貯金を解約していたりすれば、遺産の処分をしたと判断されます。もし、パターンBの場合で、特に自分自身が遺産を取得している場合も相続放棄を認めるとすれば、このような遺産の処分もなかったものと判断することが必要となり、その分かなりハードルが上がることになります。
 参考までに、比較的新しい裁判例を紹介します。
 被相続人は事業をしていて、自宅不動産のほか、店舗不動産を所有していました。被相続人の妻も子どもたちも被相続人がそのような資産を持っていたことを知っていました。被相続人の妻が被相続人の遺産をすべて相続し事業を継続するという意向を持っていたので、子4名のうち3名は遺産の詳しい内容を知ることもなく、遺産をすべて母に取得させていました。この3名はその後、十数年後に、被相続人が負っていた5000万円以上の保証債務を請求され、初めて債務の存在を知り、相続放棄の申述を行った、という事案です。先ほどのパターンでいうと、パターンBのうち、自分自身が全く遺産を取得しなかった、という場合です。
 最高裁は、熟慮期間は、相続人が遺産の全部または一部の存在を認識した時(または通常これを認識することができる時)から起算すべきとしていました。子3名が相続放棄の申述を行った家庭裁判所も、この最高裁判例をもとに、3名の相続人は被相続人が不動産を所有していることを認識しており遺産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があったとはいえないとして、熟慮期間の起算日を被相続人の死亡日として相続放棄を認めませんでした。
 相続人が諦めずに不服申立てをしたところ、福岡高裁は、平成27年2月16日、次のように述べました。
 3名の相続人が、被相続人の死亡の事実を知ったときから3ヶ月以内に相続放棄をしなかったのは、被相続人に係る遺産はすべて被相続人の妻が相続するから、3名の相続人が相続すべき遺産が全く存在せず、かつ、被相続人に係る相続債務は存在しないものと信じたためであり、そのように信じたことについて相当な理由がある。熟慮期間の起算点は、相続人3名が被相続人に係る相続債務が存在することを知った時とすべきである。
 福岡高裁は、この事案の内容からすれば、子3名の相続放棄を認めないことは酷であると考えたのだと思います。

5 さいごに
 婚相続を承認するか、放棄するかは、熟慮期間内に慎重に検討すべきことはいうまでもありません。そうはいっても、熟慮期間を経過した後に、被相続人に想定外の債務があることがわかり、慌ててしまう場合があります。債権者からは、「相続人として債務を承継していますので、支払ってください。」と求められ、亡くなってから3ヶ月過ぎてしまっているから今更相続放棄はできない、と思って支払ってしまう方もいらっしゃいます。
 しかし、裁判所は、法律の条文を杓子定規に判断するのではなく、その人がおかれた状況を考えてかなり柔軟に判断していますので、事案によってはなんとかなるかもしれません。
 このような想定外の債務の相続人としての立場に立たされた場合に、すぐに自分で判断してしまうのではなく、まずは弁護士に相談してみることをお勧めします。

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