弁護士の事件簿・コラム

第20回横浜弁護士会人権賞について

弁護士 井上  泰

 先日、第20回の横浜弁護士会の人権賞に「神奈川県原爆被災者の会」が選出されたという嬉しいニュースが流れてきました。

 横浜弁護士会の「人権賞」とは、基本的人権の擁護、確立のための活動をおこなった個人や団体を表彰することによって、人権擁護の活動の輪を広げ、さらなる発展と定着に寄与すべく1996年に創設されたものです。

 神奈川県原爆被災者の会は、県内に住む広島、長崎、ビキニの原水爆の被災者が1966年に結成した会であり、再び原水爆の惨事を繰り返さないよう、体験を語り継ぎ、核兵器の廃絶と、被災者の健康、福祉のための運動を行っています。

 私が参加した原爆症認定集団訴訟「かながわ訴訟」においても、同会を中心とする「原爆訴訟かながわ支援の会」に大変お世話になりました。

 ところで、原爆症認定集団訴訟とは、広島・長崎に投下された原爆に直接被爆した方々、あるいは、原爆投下後に広島市又は長崎市に入市した入市被爆者の方々が、被爆後に発症したがんや心疾患、脳疾患等の疾病や傷害が原爆放射線の影響によるものであり、医療が必要であるとして、厚生労働大臣に対して認定をもとめたにもかかわらず、不認定処分を受けたことから、その不認定処分の取消しや国家賠償法に基づく損害賠償等を求めた訴訟でした。

 自らが原爆症であることを厚生労働大臣に認められれば医療費が全額国庫負担となり、月額13万円あまりの医療特別手当が支給されます。

 しかし、さまざまな被爆の後遺症に苦しんできた被爆者に対して、原爆症の認定に関する国の政策は異常に厳しいものであり、病に苦しむ多くの被爆者を「不認定」として切り捨ててきた現状がありました。

 そこで、自らの疾病等を原爆症であることについて不認定とされた全国の被爆者が裁判で闘うことになったのです。

 神奈川でも2004年9月の一次提訴から2007年3月の三次提訴までを行い、原告は13名で裁判を遂行し、2009年11月に一審判決、その後控訴し2010年5月26日に控訴の取下げを行うまで、裁判を闘いました。

 各地で勝訴判決が相次ぐ中で、2008年3月に原爆症認定の審査基準が新しく見直され、原告のうち8名が新しい基準で認定されましたが、残り5名の原告の方と共に最後まで裁判を戦い抜きました。

 2009年8月6日に当時の麻生首相との間で勝訴原告に関する国の控訴を取り下げること、敗訴原告も基金を作り、その給付金で救済すること、今後、定期協議を行い、原爆症の認定問題を解決する、以上を前提に各地での訴訟を終結させるという確認書が交わされて集団訴訟の解決が図られました。

 自分としては被爆者の人々がどのような想いで戦後を生きてきたのか、病をかかえる中で様々な偏見に苦しみ、家族にすら話しをできず、また、自分が被爆をしたことによって子どもや孫へ影響がないかなどを心配するなど、その心情に触れることとなりました。

 思い出すのも辛い記憶に一人一人の原告の方々が向き合い、それを語るのを目の当たりにして、自分の祖父母のこと、家族のこと、核兵器のこと、平和の尊さを改めて考えることとなりました。

 一緒に闘っていた原告の方が亡くなって辛い思いもしました。

 このような厳しい裁判を遂行するなかで、被災者の会を中心とする支援の会の方々の活動が本当に原告の方はもちろん、弁護団の弁護士の心の支えとなっていました。

 2016年1月30日(土)に横浜弁護士会で行われるの「人権シンポかながわ2016」のイベントにおいて人権賞の授与式(15:45~)が行われます。

 心から祝福いたします。

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