弁護士の事件簿・コラム

労働審判の一事例

弁護士 栗山 博史

★労働審判とは
 解雇や賃金未払いなど,個々の労働者と事業主(使用者)との間に生じた民事紛争を解決するための「労働審判手続」が2006年4月に始まってからまもなく4年が経過しようとしています。

 この手続は,地方裁判所で,裁判官1名と,労働関係の専門的な知識経験をもっている者2名(使用者側1名,労働者側1名)が対等の立場と権限で合議体(労働審判委員会)を構成し,原則として3回以内の期日で審理をして,調停または審判で,紛争解決を図るシステムです。

 労働審判制度が発足する前も,地方労働局の相談・あっせん等の紛争解決システムは設けられており,また,裁判所に民事訴訟を提起することもできました。しかし,前者は,あくまでも労使双方の合意がなければ解決に至らないという任意の調整制度であるため,使用者が話し合いに応じないと言えば,そこでストップ。後者(裁判)は,使用者が「ノー」と言っても,裁判所が,白黒をつけて使用者に対する命令を発してくれますが,ご承知のとおり,訴訟は時間がかかります。保全処分(仮処分)という迅速な手続が用意されてはいるものの,徹底的に争われて時間を要することもしばしばで,結局,労働者側が後込みして泣き寝入り,ということが多かったのです。

 労働審判手続の実際の運用の結果,平均審理期間は75日(2010年10月集計)で,3ヶ月以内の解決が実現しているとのことです。そのうち,調停の解決が約7割なので,申立をした人のうち10人中7人が,3ヶ月以内に話し合いにより,一定の解決に至っているということになります。

★労働審判の一事例 ~A子さんの解雇事例~
 さて,それでは,労働審判手続について,もう少し具体的なイメージを持っていただくために,私が実際に担当した労働審判事件をご紹介します。

 A子さんが私のもとに相談に訪れたのは昨年10月下旬でした。10月中旬の時点で,1ヶ月後の解雇を通告されたとのことでした。内容をうかがってみると,概要,次のようなものでした(事実関係はもう少し複雑なのですが,詳細は割愛しています)。

 「すでに1年半以上会社で働いているが,入社してまもなくのころの同僚1名による2回にわたるセクハラ行為が原因で,その同僚とは仕事上の事務的なやりとりを除いては会話を避けるようになりました。それでも,会社内で仕事に支障をきたさないように一生懸命仕事をしていました。他方,社長からは,入社後まもなくのころより,業務改善案について思うところがあれば積極的に提言してほしいと言われていましたので,入社後1年ほどしてから,よかれと思って積極的に提言するようにしていました。しかし,社長は,社長のやり方に異を唱えられたことが気に入らなかったようで,『自分のやり方は変えられない』『自分のやり方に従えないような人は要らない』と反発してしまいました。その後,些細なやりとりが積み重なって,社長から,まともに声もかけられなくなり,名前も呼ばれなくなったのです。

 会社は,社長を除いて社員3名という小規模な会社でした。結局,セクハラを原因として同僚と会話ができなくなったのも私に非があるとして,私が辞職する方向に持って行かれてしまいました。」

★事件の受任と交渉
 私は,A子さんの依頼を受け,会社(社長)と交渉しましたが,社長からは,A子さんに非がある,会社側には全く問題がない,という回答しか得られませんでした。

 「A子さんはセクハラというが,あれはセクハラとはいえない」
 「A子さんがこれまでの態度を深く反省しなければ会社に戻すことはあり得ない」
 「解雇したA子さんに対し,慰謝料などの解決金を支払うこともあり得ない」

 という回答でした。

★労働審判の申立て
 交渉が決裂に終わり,昨年12月上旬,労働審判を申し立てました。

 A子さんは,心療内科に通院せざるを得ないほど,精神的に傷つけられていましたので,会社に復職するという選択肢はあり得ませんでした。裁判所に,違法・不当な解雇を認めてもらい,解決金を支払ってもらうことが目的でした。

 労働者の解雇は,日々の生活の糧を失うわけですから,解決金の要求は,この労働審判の中心的な目的です。しかし,私は,この労働審判によって,A子さんの名誉・自尊心の回復が図ることができれば,という思いがありました。A子さんは,会社という狭い組織の中で,正義が認められず,自分の努力が評価されず,それどころか,一方的に非を咎められ,大声で罵倒されるという経験を通じ,人格の尊厳を踏みにじられてきました。私との打ち合わせの中で,時折,言葉を詰まらせ,涙を抑えられなかったのも,人格の尊厳を踏みにじられてきたことへの悲しみ,悔しさゆえのものだったと思います。

 私は,A子さんの事件を担当しながら,かつて担当した,同じように不当解雇されたB子さんの事件を思い出していました。B子さんの事件のときは,労働審判制度はなく,訴訟という手段をとらざるを得ませんでしたが,和解で解決した後に,B子さんが,「裁判官が,解雇は無効と言ってくれました。自分が間違っていなかったことが認められてすごく嬉しかったんです。これで亡くなった父に報告できます。」と話されていたことが印象的だったのです。

★労働審判期日の様子
 A子さんの事件の労働審判の第1回期日は,正月休みを挟んでしまうこともあり,申立をしてから40日以上後の1月中旬でした。

 原則として3日以内の期日で審理を終えるという労働審判手続の特質上,第1回目から実質的な審理を行うことになります。A子さん側からは,陳述書を含めた証拠資料を可能な限り事前に提出し,会社側からも詳細な反論を書いた答弁書が提出され,労働審判委員会がそれらに事前に目を通し,審理に臨みました。審理は,A子さん,私,そして,会社側から,代理人弁護士,社長,従業員2名が同席して行われました。

 審判官(裁判官)は,会社側に対して,解雇の事実を確認し,解雇の相当性の立証は会社側が行わなければならないとして,会社側に対し,次から次へと質問を重ねていきました。

 そして,質問を重ねてゆく中で,
 「裁判所としては,解雇というのは,最終手段だから,事前にイエローカードを出して,それでも改善されない場合に解雇ができると考えている。しかし,本件ではイエローカードは出されていないようですね」
 「セクハラがあったかなかったかは,その事実が確認されれば,あとは,被害者の受け止め方の問題だと思いますよ。」
 「セクハラがあった場合,一般的には,どちらを排除するかといえば,加害者を排除するのが一般的なんだけれども,被害者を排除して解決を図るというのはどうなんでしょうかね。」

 といった,裁判所としての事件の見方を明らかにしていきました。

 やはり,早期に適正・迅速な解決を目指すという労働審判の性質上,審判官(裁判官)も審判員も,自己の見解を遠慮せずに述べていきます。

 そして,A子さんに対しても質問を行い,双方に対する一通りの質問を終えた後,双方当事者を個別に呼び出しました。

 審判官からは,A子さんに対して,「解雇が有効になるハードルは一般的には高い。今回の解雇は無効だと考えています。解決金の金額について折り合いがつけば,本日調停を成立させたいと考えているが,どうですか」と尋ねられました。A子さんにとって,紛争が長引くことは心理的負担になりますし,また,労働審判申立後,裁判所からは離れた実家に転居していましたので,早期に,しかも1回で解決することができるというのは望外の喜びでした。また,審判官・審判員の方々に,自分の言い分を全面的に理解してもらえたことは,A子さんの名誉・自尊心の回復という観点からも,大きな力になったのではないかと思います。

 こうして,労働審判委員会主導のもと,双方当事者に対する交互の働きかけが行われ,第1回の審判期日に調停が成立したのです。

 A子さんは,解雇されたという日に会社都合で自主退職したという扱いになり,会社からA子さんに対し,一定の解決金が支払われることになりました。

★さいごに
 結局,この事件は,A子さんが私のもとに相談に来られてから3ヶ月以内に解決に至りました。

 労働審判手続が開始される前は,交渉時点で労働者と会社側の意向が180度違う場合に,これほど早期の解決を見ることは期待できなかったと思います。

 裁判官のみならず,労働問題に詳しい労使それぞれの側の審判員が構成員になっているため,労働審判委員会からの発言・提案が,会社側に対して説得力をもって受け入れられているのかもしれません。

 労働審判制度の発足前であればおそらく解決までにかなり時間を要したであろうケースも,この制度によって短期解決できる可能性は格段に高まったと思います。※

※もちろん,このような短期解決になじまないケースは多々あります。また,調停が成立せず,労働審判がなされた場合は,異議の申立てができ,異議申立てがされると訴訟に移行しますので,解決までに時間を要することになります。

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