加賀乙彦 『宣告』を読んで

 最近、加賀乙彦の長編小説『宣告』(上・中・下)(新潮文庫)を読みました。

 ロシアの文豪ドストエフスキーが獄中での数年間の体験をもとに書いた『死の家の記録』という小説がありますが、加賀の『宣告』は、その日本版だと書いてあって興味を持ち、3冊まとめて買って積んでおいたものを思い出し、仕事の移動時間を利用して読み終えました。

 『宣告』の主人公楠本他家雄のモデルは、現実の死刑囚・正田昭だそうです。精神科医であった加賀は、若い頃に東京拘置所に医務官として勤務し、正田と知り合ったとのことで、そこでの体験や、その後、正田が文通相手に送った大量の手紙などを読んだことなどがベースになっているようです。主人公の生い立ち、破滅、改心、葛藤などその人生と内面の変化に加え、その他の死刑囚の実態も精神医学的裏付けを伴ってリアルに描かれ、さらに、キリスト者である加賀ならではの視点から、人間心理についての深い洞察がなされています(とはいっても、無宗教の私には理解できないことが多いのですが‥)。

 ある死刑囚が、「死ぬのが怖いんじゃない。いつ来るかわからない死を待つのが怖いんだ。」と述懐する場面があります。死刑というと、冤罪によって、無実の者を殺してしまう可能性という観点から問題性が指摘されることが多いですが、「今日はお迎えが来なかった。今日一日は生きられる」というように、死ぬまで毎日、いつか必ず来る、しかし、いつ来るかわからない死に向かい合うということの精神的過酷さ、それに耐えられず精神が破壊され生じる拘禁反応、などを考えると、それだけでも、とても残酷です。

 民主党政権時代に、刑場のマスコミ公開が行われました。その後、あの動きはどうなったのだろう。死刑執行とか死刑囚とか、私たちのように職業として裁判に携わっている人間にも、肌感覚として遠いところにあるのですが、『宣告』は、主人公の処刑や処刑を迎える直前の心理状態までをも余すところなく描いており、心を揺さぶれました。    私にとっての今年の小説大賞は、この本です。

                                                        弁護士 栗山博史